お洒落なモテ男の矢作兼 mo-mo-townから引用
お洒落なモテ男の矢作兼が“有吉ゼミ”に出演。
山梨県生れのモテ男の矢作兼の幼い頃の話・ダメおやじの父親・2人の姉・東京での母子家庭のこと
”有吉ゼミ“に出演するモテ男の矢作兼の男振りの裏技や身に着ける眼鏡や髪型が女子の心を揺さぶる?
私生活もお洒落なモテ男の矢作兼の生き方をご紹介します。
山梨県で3歳までのこと
モテ男の矢作兼は、父親の故郷の山梨県で1971年9月11日に生まれた。
本人曰く「父親はとんでもなく悪い男」だったそうだ。
いわゆる「飲む・打つ・買う」悪行三昧の男だった。
父親のいない隙に、母親は兼と3才上の姉を車に乗せて東京の実家に連れ帰った。
その事件は矢作兼が3才の頃の話しだ。
たまたまその場に居なかった一番上の姉とは、それっきりになっている。
後日、住民票・謄本はきちんと提出・整理した。
母親の実家・東京の母子家庭の話し
矢作兼は幼稚園の頃からモテ男の矢作兼だった。
小学校は実家に近い、豊島区立要町小学校(現・豊島区立要小学校)に通い
野球クラブや剣道もたしなんでいた。
モテ男の矢作兼は、運動神経も良かったが、それに入れ込んでしまうほどの情熱は持ち合わせてはなく
冷めやすい性格だった。
中学校は豊島区立千川中学校に進学した。今度はサッカー部に参加した。
高校は都立北野高等学校(現・都立板橋有徳高等学校)に進学、テニス部へ入部した。
高校生になると、ご多分に漏れずファミレスでアルバイトにも励み小遣いを貯めた。
隠れてビリヤード場に通った。
高校に入って「おぎやはぎ」の小木博明と運命の出会いをした。
高校生の頃は小木博明と2人でお調子者をやってクラスの者を笑わかした。
高校卒業後は進学したのか?
矢作兼は中学の時に荒れてた?ので大学には進学していない。
自宅からの大学通学は可能だが、私立大学だと4年間で随分な学費が掛かる。
自分の主張を飲み込んで我慢する矢作兼だから・・・だったかも知れない。
高校を卒業して貿易商社に就職し、海外事業部に配属された。
その頃に英語や中国語を習得した。
そこには3年間在籍し、退社するときには役員たちも慰労会に参加してくれた。
やはりモテ男矢作兼は、ずっと幼い頃からの気配り上手な矢作兼だからの技なのだ。
左:小木博明 右:矢作兼 人力舎 Hpより引用
”おぎやはぎ”デビュー
2人の性格は、互いにないものを補い合うという同志だ。
矢作兼はよく気が付く専務タイプ・小木博明は、大雑把な社長タイプだ。
TVで良く見かけるコンビだが、個性を主張しすぎない・灰汁のない2人だ。
モテ男の矢作兼は周りに居るものを笑いの渦に巻き込むタイプでもないし、特段の美男子でもない。
強いて言うならば、「無視はできないけど気が付けば、傍でじっと見てくれてる」そんな印象かな?
小木博明は次のように述べている。
矢作兼の気配りは素晴らしい。今の”おぎやはぎ”があるのは、
矢作兼の根回し・影のフォローが大きい。
人力舎Hpより引用
ファッションデザイナーのドン小西にも褒められた矢作兼の感性の良さは、3才上の姉の影響に
よるものと言われている。髪型・眼鏡・私服もお洒落に着こなしたいる。
姉はファッションデザイナーを職業としている。血は争えないものだ。
人力舎の後輩たちも矢作兼のファッションを真似て、周りがそのファッションだらけになるとその
ブームが終焉を迎える。所属する人力舎の後輩や同輩たちも矢作兼を慕ってる。
先輩の加藤浩次やとんねるずの石橋貴明にも気に入られている。
気配りができる性格は、母子家庭で育ち空気を読む必要に迫られたから?
それとも天性のDNAか?
家族のこと・まとめ
矢作兼のイラスト ピクシブ百貨 by Masa
モテ男の矢作兼は2016年に一般人と結婚した。モテ男の矢作兼の歴代彼女は全員がモデルだ。
12才年下のキキ似(ジブリの魔女の宅急便主人公のキキ)の奥様は美人と評判だ。
2人の男子に恵まれている、長男は詩人の萩原朔太郎から名前を貰って”朔太郎”だ。
次男は2月14日生まれなので”チョコ太郎”と言う愛称だ。
父親のイメージを知らないから「今は一生懸命に父親を実践している」と語る。
これからも愛する家族のためにも自分の為にもボツボツと息切れせんように頑張って欲しい。