柔道世界選手権3連覇 パリ五輪金メダリストの角田夏美の苦悩名言集
写真はthe answerより
パリ五輪で金メダリストの角田夏美が有吉ゼミに出演。遅咲きの角田夏美がうっかり漏らす苦悩発言。
金メダルを取るまでのネガティブ発言を集めてみた。27才の時に阿部詩のいる52キロ級から4キロを
減量し、48キロ級で再スタート。安部詩が「軟体動物・蛇のような選手」と嫌う角田夏美の
苦悩を探る。
2021年(29才)世界選手権3連覇の頃 母も姉も美人です number bunsyunより
プロフィール
1992年8月6日に千葉県八千代市に生まれた。
整骨院を経営していた父は柔道の経験もあった。その父の影響で小学2年の時に柔道を始めた。
最初は八千代警察署の2階の武道場での練習だった。
練習には参加するものの、小柄だったから男子生徒に歯が立たず『もう嫌だ、勝てないから辞める』と
駄々をこねた。母親に「黒帯を取るまでやったら?」との言葉に頷き、柔道を続けた。
中学・高校もずっと柔道に打ち込んできたが、全国版に載るような輝かしい記録は残せてなかった。
高校を卒業するときに『柔道を目指すのじゃなくて、ケーキ屋さんなるために専門学校に行く』
と告った。
柔道が好きになった大学生の頃
その時は学芸大学から柔道優待生スカウトで大学に進学した。
東京の学芸大学(難関大学)で、柔道に打ち込んだ。
国立大学の難関大学だからなのか、柔道部には女性はいなく先輩からの指導も穏やかだ。
きついノルマを課せられることもなかったので、柔道を愉しみ自分の技を磨いた。
その時に柔道人生を極める人との出会い、柔道部顧問の射手矢(岬)先生だ。
背負い投げなどの立ち技を選ばない角田夏美の好きなように技の勉強を後押しをてくれた。
その経験が角田夏美の代名詞「巴投げ」に目覚めるきっかけになった。
父の経営する整骨院には、関節や肉離れなどの患者さんが多かった。
医院に掲示されている人体の筋肉図や人体模型を見て育った角田夏美は、自然と関節技・寝技に
目覚めていったと思われる。
この大学生の頃に『私は柔道を好きだなと初めて思えるようになりました』とインタビューで述べた。
48キロ級に減量の理由
大学を卒業してから、2013年(21才)の学生体重別選手権で自身初の全国優勝を果たす。
SBC湘南美容クリニックに進み2016年(24才)の時にグランドスラム・東京大会で優勝。
しかし52キロ級には、職場の先輩の志々目愛がいた。そして阿部詩も高校生ながら徐々に
頭角を現してきていた。
『自分はもう置いていかれたなと思って、オリンピックを考えた時、48キロ級なら
可能性があるんじゃないかと』一大決心をした。
2019年(27才)の時、普通なら引退する頃に52キロ級から48キロ級に移動した。
一度変わると元の階級には、戻れないルールがあった。
「東京五輪で引退しようと思っていました」
ところがである。
2021年(29才)世界選手権から日本の女子選手として史上3人目となる世界選手権3連覇を達成。
6月29日に2024年(32才)パリ五輪代表への内定がTVで発表された。
阿部詩の愚痴
角田夏美と阿部詩の年齢差は8才だ。
オリンピック競技には、その競技独特の年齢層がある。
女子体操やアイススケートは中学生が選手に選抜されている。
柔道の選手で8才と言う年齢差には驚かされる。
若い阿部詩が次のように告っている。
『蛇というか、軟体動物みたいな柔道で、自分(角田)のテリトリーに入ったら遊ばれる。そういう部分がすごく強い。誰にも感じたことがないものを持っている方』
ヤフーニュース記事より
左から2人目が角田夏美 腹筋がバリバリ 本人のXより引用