堺正章はTV界の大御所です。マルチタレントとして何でも器用にこなしますが、特に60年間の
歌手生活は特筆すべき物があります。彼の娘の堺小春も芸能生活8年目です。彼女も
最近ドラマで頻繁に見かけるようになりました。堺正章は俳優としても「時間ですよ」
「西遊記」などに出演しお茶の間の評判を集めました。
目 次
堺正章は1946年(昭和21)生まれです。
マチャキと呼ばれる方が似合うマルチタレントです。
たれ眉毛の笑顔が優しいコメディアンの堺駿二さんの次男として東京都世田谷区で生を受けました。
16才の時に加入したザ・スパイダーズでメインボーカルを務め、グループ解散後は数々のドラマにも
出演しました。特に「時間ですよ」「西遊記」に出演してお茶の間の人気者俳優になりました。
「紅白歌のベストテン」「ザ・トップテン」の司会もこなし「新春かくし芸大会」では玄人はだしの個人芸を披露しています。
芸能一家のこと
堺正章は天才喜劇俳優と呼ばれた堺駿二の次男として1946年(昭和21年)に東京都世田谷区で
生を受けています。父親の堺駿二(昭和13年~43年没)は東京都の生まれで、芝居好きの母の勧めで
11才の時に伊村義雄一座に入門して芸を磨きました。正章はNHKの「ファミリーヒストリー」で
放送された通りの芸能家系なんですね。
引用元 NHKのファミリーヒストリー
5才の時に父の堺駿二に手を引かれ撮影所に行った。これがきっかけで映画出演をしたそうです。
父親の堺駿二さんとは瓜二つの顔立ちで、たれ眉毛と優しい笑顔は憎めませんね
私も堺駿二さんの演技は記憶にあります。とぼけたり、はにかんだりとマチャアキとよく
似ています。
歌手人生のこと
16才の時の鎌倉学園在学中に「ザ・スパイダーズ」にメインボーカルとして加入している。
田辺昭知が率いる音楽バンドで、グループ・サウンズの先駆けを飾ったバンドです。
同じ時代には「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」も同じ時代を牽引しました。
ザ・スパイダーズは後に加盟した井上順、かまやつひろしと共に「夕陽が泣いている」
「あの時君は若かった」「なんとなく」などのヒット曲を飛ばしました。
彼達のコスチュームは忘れもしないこのような赤い服装でした。
1961年(昭和36年)結成され1970年(昭和45年)に惜しまれながら解散しました。
彼らの曲名・歌詞の一覧リスト
uta-net かまやつひろし作曲の歌詞一覧リストより引用
俳優・司会者・コメディアン
1994年にはTBS制作新番組「チューボーですよ」がスタートしました。同年には田村正和と
初共演となった「古畑任三郎」、1995年にはTBS制作連続ドラマ「パパ・サバイバル」に
主演と多忙を極めました。
1970年のザ・スパイダーズ解散後はマルチタレント振りを発揮します。俳優・司会・コメディアン
として各方面で活躍しました。
同時期に放送開始になった「時間ですよ」「西遊記」「西遊Ⅱ」ではその非凡な才能を
開花させました。1976年から始まった「新春かくし芸大会」では視聴者をテレビの前に釘付けに
しました。
私もTVの前に座って、口をポカンと開けて見ていた一人です。
そのかくし芸の披露の為に1年間もの時間をかけたそうです。のちにはMr.かくし芸と愛称も増え
ました。かくし芸の様子がこちら
Bing 動画より引用
西遊記Ⅱで披露した棒術
「西遊記Ⅱ」で披露した棒術は講師の先生曰く3週間掛かるところを1週間で体得したという
逸話が残っています。その棒術の様子がこちらです
芸好きな祖母のDNAと想い
芸好きな祖母のDNAと想いが堺駿二・堺正章・堺小春と引き継がれてきたようです。しかしながら
素質だけでは、当然に一流にはなれない。そこには「才能+努力+人との会い」がある。
昔から「山椒は小粒でピリリと辛い」と言われています。堺駿二の身長は155センチ、
堺正章は163センチです。母方に似た堺小春は166センチと小柄ではありません。
小柄ゆえに、人にいじめられたり、からかわれたのはあったでしょう。その悔しさが
「じっと耐えて継続する才能」を開花させたと私は思っています。そして田辺昭知・井上順・
かまやつひろしと言った天才と交わることでその芸が更に磨かれたと私は思います。
人生において色々な考えの人と接することで、苦難や誘惑にぶつかった時でも緩やかに対応できる力が
備わってくると私は信じています。
私生活では3度の結婚
彼は3度の結婚歴があります。1度目と3度目は一般人の方がお相手です。2度目の方は岡田美里さん
です。岡田美里さんも芸能一家で、父親はE・Hエリックさんです。タレントの岡田真澄二さんは叔父に
あたります。ご夫婦には2人の娘さんがいます。次女が堺小春さんです。
NHKの朝ドラマ「虎に翼」に小野知子役で出演しています。顔立ちは母親の岡田美里さんに
似てますが、目元あたりは父親にそっくりでした。今朝のNHKドラマ「虎に翼」を見てそう
感じました。訂正します。。
最初の芸名は栗原小春でしたが、祖父の堺駿二、父の堺正章。堺小春と3代続く堺姓を継ぎたいと
堺小春に改名しています。父親の堺正章さんは「親の7光はないぞ」と言い渡したそうです。
今年で芸能生活8年目の堺小春さんはの朝の連続ドラマの「虎に翼」出演の好機を掴み、
その演技力が高く評価されています。
歌舞伎の世界では何代も続く家系が珍しくなく、その家元独自の技能が伝承されています。
今後も堺駿二・堺正章・堺小春の後が続き、末永く何代も続くことを願っています。
コメント