齋藤飛鳥は日本人の父親とミャンマー人の母親と二人の兄との5人家族だ。
そんな齋藤飛鳥がバナナマンのせっかくグルメに登場する。
ミャンマー人の母親は映画が好きで齋藤飛鳥出演の映画を何度も見て感想をくれる。
ミャンマー人の母親の子育ては、日本では甘やかしとみられる。
齋藤飛鳥は、日本人の父とミャンマー人の母親とのハーフ
写真はマイナビニュースより引用
齋藤飛鳥の略歴
齋藤飛鳥は1998年8月10日東京都に2人の兄との5人家族で育った。
小学生の頃は、「お笑いクラブ」「テニスクラブ」「合奏クラブ」に所属していた。
色々なクラブを転々としたようだ。
中学生の時には、吹奏楽部に所属してサキソフォーンやクラリネットを担当した。
両方とも管楽器だが、指の押さえ方はどうなのだろう?
クラリネットの方が指の押さえ方は、10倍も難しいようだ。
いづれにしても、音楽が大好きであることは間違いない。
猫耳の色を決めるのに3時間も掛かった。 写真はアメブロより引用
乃木坂46デビュー
2011年、13才の8月21日に母親や友人の勧めでオーディションに応募した。
乃木坂46の1期生オーディションに合格。
中学生2年生で、最年少合格者となった。
2012年、14才の時に初めてのシングル『ぐるぐるカーテン』でCDデビューした。
同じ年に発売になった3番目のシングル「海流の島よ」で、初めてセンターを務めた。
2015年、17才の時に月刊『CUTiE』2月号で単独で表紙を飾った。
初めての経験であり、翌月からは同紙の専属モデルに起用された。
2016年、18才の時に15枚目のシングル『裸足でSummer』で初めて表題曲のセンターを勤めた。
2017年、19才の時に初めての写真集『潮騒』を発売した。
当初の発行部数の予定が7万部だったが、10万部を突破した。
2018年、20才の時に21枚目のシングル『ジコチューで行こう!』を発売。
このシングルで3度目となるシングル表題曲の単独センターを務めた。
2019年、21才の時に23枚目のシングル『Sing Out!』で4度目となる表題曲のセンターを務めた。
2021年、23才の時に公式Instagramを開設。
画像が投稿される前に、インスタ・フォロワーが30万人を超えてしまった。
2022年、24才の時に自身のブログにて、同グループを対処することを発表した。
31枚目のシングル『ここにはないもの』が最後の楽曲となった。
8頭身・小顔・歌唱力すべて兼ね備えたエンターテイナーだ。
写真は本人のインスタグラムより
ミャンマー人の母親
母親はミャンマー出身だ。
日本に帰化して「麻衣」と名乗っているようだ。
母親は大層陽気で明るい性格だ。
下の兄が母親に似た。
母親が登場した動画が残っている。
どこでもエクササイズというタイトルだ。
若い頃はとても可愛くて、齋藤飛鳥の8頭身・小顔は母親譲りだ。
ミャンマー人の母親は、過保護に思えるほど3番目の娘を溺愛した。
時間を惜しむために、小食の飛鳥の口に食べ物を押し込んだ。
洋服を選んだり、荷物をまとめたりするのも全部、母親がやってきた。
齋藤飛鳥がものぐさで、億劫がりになったのも母親のいがんだ愛情の結果なのかもしれない。
ミャンマー人の母親は、映画が好きで齋藤飛鳥の出演した映画を何度も見る。
見る度に長文のコメントをラインで送ってくる。
「一生懸命にやっているのは分かるけど・・・もう少しだね」
「今までのあす(飛鳥)の中では最高の作品だよ」
血のつながった身内ならではの、時にはきつく・時には慈愛の心で接してくれる。
今後も齋藤飛鳥の活躍から目が離せない。
齋藤飛鳥の8頭身・マスクで顔が隠れる小顔は母親譲りだ。
写真はアメブロ・ネットブレイクより引用