中国人とのハーフ、モデルでプロ雀士の岡田紗佳が奇跡の瞬間アワードに登場

芸能

日本人の父親と中国人の母親で生まれた岡田紗香は、モデルでプロ雀士だ。

強気な麻雀を打つ岡田紗香が奇跡の瞬間アワードに登場する。

学生時代は中国人の祖母と二人だけで上海で過ごした。

スパルタ教育の中国の小学校の様子や帰国してからの中学・高校・大学生活を調べてみた。

身長は170cmと高身長、中国人の母親譲りのようだ  写真はキンマwebより引用

岡田紗香の略歴

岡田紗香は1994年に日本人と中国人の母親との間に生まれた。

兄弟の存在は分からなかった。

母親は中国の上海出身で実家は麻雀店を経営していた。

父親は早くに亡くなったようだ。

岡田紗香は6才まで東京都世田谷区で大きくなった。

その後一人で中国人の祖母に預けられた。

岡田紗香は「両親に捨てられた」とずっと思っていたそうだ。

12才に帰国するまで、上海の祖母と二人で雀荘の店舗併用住宅で暮らした。

寝てても「ジャラジャラ」という牌を混ぜる音が聞こえてきたと岡田紗香は述懐している。

当然に門前の小娘で麻雀は覚えたが、中国式と日本式の麻雀のルールは違うそうだ。

これからは中国語が役に立つから小学校は中国で・・・
     写真はインスタグラムより引用

なぜ小学校を中国で?

母親の大胆な考えの元、母方の祖母に6才の時に預けられた。

これからは中国語が役に立つから「小学校は中国で卒業しなさい」と告げられた。

幼い紗佳には、そんな大人の理屈は理解できなかった。

だから「両親に捨てられた」と思った。

その母親の行動を「大胆な考え方ができる人」と岡田紗香は述懐している。

多分『私ならそうしなかった』と言いたげに聞こえる。

日本人には理解しにくい後述のような文化が中国にはあるようだ。

子供の子育てや教育を祖父母が代わって面倒を見ることがある

親も幼い子も互いを必要とする頃に、敢えて別々に暮らすことの優位性はあるのか?

中国人の祖母は、とても厳格な人と述懐している。

ゲームは1週間で2時間、テレビは1日30分、ポテトチップスは1日5枚しか食べれませんでした。勉強するしかなく、毎日勉強していたそうです。 本人のオフィシャルブログより引用

テリー伊藤との対談で中国の小学校の授業について次のように述べている。

中国の小学校は5年制なので、そこを卒業してから日本に戻って、半年だけ6年生として小学校に通いました。
すごいスパルタ教育の学校で、勉強ばかりしていました。一応、体育とか理科も時間割にはあるんですけれど、「今日の理科は国語にします」なんてすぐ変更になって、国・数・英の授業しかやらないんです。国数英、3つずつぐらい毎日。授業終わって2時間自習タイムがあって、さらに持って帰ってやるっていう感じですね」とスパルタ教育ぶりを紹介。
日本の6年生と中国の1年生が同じ勉強をしているのか。すごい話だスパルタでしたね、本当に。くじけるもなにもみんなそうだと思っていた。そうじゃなかったみたいですね」
  asagei.comより引用

帰国してからの学校生活は?

上海の小学校は5年生で期末は夏だ。

帰国してからの半年間は、日本語しか話さない父方の祖父母の家で過ごした。

中国にいた6年間で日本語をすっかり忘れていたので、覚えるまでに苦労をした。

日本語がうまく話せないことから、中学生の頃にはいじめも受けた

友達通しで「つるむ」習慣にもうまく溶け込めなかった。

転機が訪れた。

17才の時にnon-noのモデルオーデションでグランプリを受賞し、モデル活動を開始した。

当時から母親に似て高身長で美人だったから、いじめからは解放された。

母親は岡田紗香をキャリアウーマンにしたかったようだ。

だから芸能人になることに積極的ではなかった。

岡田紗香は、逆に中学生の頃から芸能人に憧れ、スカウトされやすい渋谷や原宿の高校を探した。

作戦通り高校は青山大学の付属高校に進学した。

大学は青山学院大学の国際政治経済学部へ進学した。

2017年の23才の時に日本プロ麻雀連盟のプロテストを受けプロ雀士になった。

そして、麻雀プロ歴2年で最年少でMリーガーになった。

モデル・プロ雀士のほかに、最近はバラエティーへの出演も多く『役満ボディー』を披露している。

すます目が離せなくなってきた。

役満ボディーのスペックは170cm83-58-85のGカップ 写真はインスタグラムより引用

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