松本人志の生まれ変わり、野田クリスタルが女芸人No.1決定戦に登場

芸能

自ら松本人志の生まれ変わりと公言する野田クリスタルが女芸人No.1決定戦に審査員として登場する。

松本人志からも「俺の生まれ変わり」と承認された。

M-1グランプリ制覇・R-1グランプリと2冠を達成した。

「クリスタル ゲット」の喜びのポーズとは?


松本人志の「遺書」に触発された野田クリスタル 出典:女性自身

野田クリスタルの略歴

野田クリスタル(本名:野田光)は、1986年横浜市南区に生まれた。

3人兄弟の3番目だ。

父親も2人の兄も公務員をしている。

長兄は慶応義塾大学、次兄は明治大学を卒業した。

頭の良い兄弟だ。

野田クリスタルは、小中学生の頃から明るく「みんなの笑いを取る」のが大好きだった。

中学生の頃に掲示板サイト「あめぞう」に短文小説を投稿していた。

オンラインゲームやインターネットに夢中になっていた。

高校生の頃には、松本人志著作の「遺書」を愛読書とし教祖さまのように崇めていた?

松本人志の真似をして、漫才のネタ作りもしていた。

野田クリスタルの芸名の由来

学生の頃に同級生とお笑いコンビ「セールスコント」を結成した。

そして中学卒業後の15才でに芸人デビュー。

高校生の時に新宿Fu-などのインディーズ劇場を主な活動 拠点とした。

当時視聴率20%の大人気バラエティ番組『学校へ行こう!』で参加者約5000組の中で優勝した。

高校を卒業後は、地下ライブで活動の傍ら郵便局で7年間アルバイトで生活費を稼いだ。

幼稚園の頃から「ファイナルファンタジーⅢ」をプレイしていた。

ゲーム終盤で光の戦士が旅立ってクリスタルをゲットした。

この『光り輝くクリスタルに俺もなる』と決めた。

歯切れの悪いフレーズだけども18才の時から「野田クリスタル」で活動を始めた。

松本人志から「俺の生まれ変わり」と承認された時の「クリスタル ゲット」喜びのポーズ  出典:日本放送Hp

松本人志の生まれ変わり

高校生の時に読んだ松本人志著作の『遺書』の感銘を受けた。

1994年30年前に松本人志が31才の時の著作で約250万部のベストセラーとなった。

「人間、コンプレックスがないとあかん!」と公言し、ストイックな生き方を実践する著者―お笑いに魂を売った男の、人と時代を見据える眼力は鋭く、語りには毒がある。「反論も悪口も大歓迎する、正々堂々と来てみやがれ」と刺激的に言い放った、超ベストセラー『遺書』+『松本』、待望の文庫化。 出典:紀伊国屋web ストアー

なんともきつッ、とんがった内容だ。

マヂカルラブリーの野田クリスタルと村上のラジオ番組「オールナイトニッポン0(ZERO)」で言った。

野田が、出演した『IPPONグランプリ』について感想の中でチェアーマンの松本人志がコメントした。

「おい、こいつは俺の生まれ変わりだ」

オールナイトニッポンの番組でこのことを報告した。

喜びの羽ばたくポーズが「クリスタル ゲットのポーズ」だ。

クリスタルは、まだ左手に1個しかゲットしていない。

両手にクリスタルを掴むまで死ぬまで、死ぬ気で野田人志を目指して欲しい。。

筋トレが趣味だった頃の野田人志?  出典:モデルプレス

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