パリオリンピックでフェンシング フルーレ代表の宮脇花綸が加藤浩次&中居正広の歴代日本代表に登場する。
5才年上の姉の後を追って5才の幼稚園児からフェンシングを始めた。
生活の中心にあったフェンシングを続けられた強い気性やパリ五輪出場までの経緯を調べてみた。
セーヌ川添いで雨に濡れた笑顔が映える宮脇花綸 出典:インスタグラム
宮脇花綸の略歴
宮脇花綸は1997年に東京都世田谷区で生まれた。
5才上の姉(真綸さん)との4人家族だ。
真綸さんが剣道を習いに行きたいと母親に相談した。
母親は近くにある「東京フェイシングスクール」を勧めた。
近いから送迎の負担が少なくて済む?と考えたのかも知れない。
妹の宮脇花綸も姉の後を追ってフェンシングの道に進んだ。
長い髪の時代もあった 出典:インスタグラム
父親の存在
父親の宮脇信介(みやわき のぶすけ)さんは、東京大学経済学部卒のエリートだ。
現在はサスケ・フィナンシャル・ラボ の 取締役に就任している。
宮脇花綸さんがフェンシングの有力な選手なので、応援もかねて公職に就いた。
2014年の6月から公益社団法人、日本フェンシング協会の常務理事や専務理事を務めた。
父親の宮脇信介さんの親類縁者は『将に華麗なる一族』だ。
ご両親のDNAを受け継いだ宮脇花綸さんは『知性と育ちの良さ』が顔立ちや立ち振る舞いに出ている。
凛とした美しさが際立つ宮脇花綸 出典:ザ・ダイジェストWEB
パリ五輪出場までの経緯
宮脇花綸は5才年上の姉(真綸さん)の後を追って5才の幼稚園児の時からフェンシングを始めた。
車で10分の距離にある「東京フェンシングスクール」に通った。
生来の勝気な性格もありメキメキと頭角を現し、小学生の頃には競技で好成績を収めている。
どこまでも絵になる宮脇花綸 出典:インスタグラム
小学部と中学部はお嬢様学校の「東洋英和女学院の付属」に通った。
高校は偏差値76の超難関の慶応女子高に通い、慶応大学の経済学部に進学した。
理数系の方が好きだったが、フェンシングに力を入れたいので文系の経済学部を選択した。
生来の頭の良さと努力家であるから、語学は得意だ。
パリ五輪に遠征の時も「フランス人コーチの通訳」をこなした。
銅メダルに入賞した時のインタビューにも『英語できちんと答えた』
そろそろお年頃?
1997年2月4日生まれの宮脇花綸は、2024年12月で27才だ。
決断が早くて空気を読むのが上手な次女?だから素敵な彼氏が居ても可笑しくない。
早く報告できるように「耳を澄まして・・・お知らせします」