沖縄出身と間違われる桐谷健太が“所さんのそこんトコロ”に登場。
ボジティブな性格の桐谷健太さんは、なんと大阪出身なんです。
沖縄出身と勘違いされる理由や一見派手に見える性格はどうなのか?
音楽好きな家族のことも調べてみた。
針はまっすぐ正直に、6時です。 写真はORICON NWES より
桐谷健太 略歴
桐谷健太(本名同じ)は1980年に大阪市北区天神橋6丁目で生まれました。
身長は181cmと大柄な方です。
血液型はO型です。 タフでパワフルと言われるO型そのものです。
生まれた天神橋6丁目は、「天6」と呼ばれてる商店街の近くです。
日曜品や最寄り品の600もの商店が並んでいます。
3才上のお兄さんを含めての4人家族です。
実家のお仕事は、分かりませんでした。
実の兄の桐谷昌弘さんは、大阪でバーを経営されてるようです。
父も母もそしてお兄さんもギターを弾いていたそうだ。
そのような音楽に親しむ家族の中で育った桐谷健太さんに、音楽の才能が育まれたのも納得だ。
「海の声」が沖縄出身のイメージを助長した。三線の演奏をする様子が沖縄出身と勘違いされたのでしょうか? 写真はYouTubeより引用
沖縄出身と勘違いされる理由は?
管理人もこの記事を書くまでは「沖縄人」と思ってました。
桐谷健太の出身は沖縄じゃないの?
auのCMソングの「海の声」を聴いた時のイメージが強く残ってます。
桐谷健太は少し波のある、穏やかでない海を前にじっと前を見据えて歌った。
桐谷健太の、実直・真っ直ぐな性格がそのまま出ている歌い方だ。
そして古くから沖縄の楽器「三線」を玄人はだしで演奏する。
彫りの深い面長の顔立ちは、『少々のことではぶれない沖縄人』そのものに管理人は感じる。
桐谷自身も「中学生の時に訪れた沖縄に懐かしさを感じた。」と述懐している。
その中学の時から「沖縄大好き人間と自認している」
桐谷健太をスターダムに押し上げたauのCM
写真はhttps://trendnewscaster.jp/より引用
ポジティブな桐谷健太さんの性格は?
幼い頃は、目立ちたがり屋の性格だった。
幼稚園の学芸会で目立つ役をしながらも、小道具の陰に隠れてしまうはにかみ屋の一面ももっていた。
小学生の頃は、身体も一回り大きく体育や勉強も得意だった。
中学生ではテニス部のキャプテンで活躍した。
O型の血液型の性格そのもで、チームを引っ張ったようだ。
高校になるとポジティブな性格とも相まって、体格を生かしたラクビー部に所属した。
同時に軽音楽部にも籍を置き「ドラム」を担当した。
得意なボーカル・ギター演奏よりも、ドラムの方が目立つしかっこいいと考えたようだ。
高校を卒業するときに、「やっぱり役者になるわ!」と両親に告白した。
役者になるために上京
両親も音楽好きだったから、末っ子の健太が役者になることに反対しなかった。
何故か仏教と関係が深い駒澤大学に進学した。
同時に『アクターズクリニック』で俳優になるための研修を積んだ。
2002(22才)でテレビドラマ『九龍で会いましょう』で待ちに待った俳優デビューを果たした。
2007年(27才)『GROW 愚郎』で映画の初主演を果たした。
2008年(28才)テレビドラマ『ROOKIES』の出演からTV出演頻度が増した。
2009年(29才)舞台『恋と革命』で初主演をした。
2011年(31才)第35回『エランドール賞』新人賞を受賞。
2013(33才)『父の花、咲く春〜岐阜・長良川幇間物語〜』
2016年(36才)12月に、auのCM『海の声』で『第58回日本レコード大賞』優秀作品賞を受賞。
第67回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。
歌もお芝居も挑戦した。ドラムや三線もなんでもやった。
スターダムに載るには時間が掛かった。
その分じっくりと自分の芸を磨き上げてきた。
いい表情だね・・・写真はdo-yaから引用
『小走りに駆ける亀』
いわゆるウサギタイプではないが、まるっきりの亀でもない。
桐谷健太の性格は『小走りに駆ける亀』ではないか?
人の後塵を拝するのは、プライドが許さない。
ましてや頭を踏まれるなんてのは、あり得ない。
今後もじっくりと芸を磨いて『一目も二目も置かれる俳優を目指して欲しい』
益々のご活躍を祈念してる。