インディアンスのキムが大阪府代表で秘密のケンミンSHOWに出演。
実の父親の本職はデザイナー。また世界ナンバー1になったこともあるハーモニカ奏者で
バンドも結成している。父親の芸術的才能・素質を受け継いでいるのか?開花の可能性は?
調査してみた。
左側がボケのたぶっちゃん(本名:田淵章裕) 右側が突っ込みのキム(本名木村 亮介) スポニチのHpより
インディアンスのキム(本名 木村亮介)の生い立ち
愛称 キム
- 本名 木村亮介
- 生年月日 1987年12月24日
- 出生地 大阪府箕面市(みのおし)
- 身長 165㎝
- 血液型 O型
- 出身高校 東豊中高校 偏差値55(中の上)
- 出身大学 大阪産業大学 偏差値40(容易) 1年で中退
高校を卒業した時にSNCを目指したが、一人で入校するのが怖くて普通に大学に進学したと
インタビューで述べています。
1年の時に客員講師の和泉修さんのゼミを受講した。
和泉修さんは、お笑いコンビ「ケツカッチン」に所属していた芸人さんです。
あの清水圭さんとコンビを組んました。
その 和泉さんの講義の中に出てくる芸人の世界に魅了され、「やっぱり芸人の方が面白そうや」と
折角入学した大学を中退してしまった。
芸人の道へ舵を切る・・・
そして2008年(21才)で大学を中退してNSCに入校した。
同じころに田淵章裕(2才年配)も入校してるが、当時は特に面識もなかった。
2009年木村亮介さんの方から田淵章裕さんを誘った。
当時のSNCには同期生が沢山おり、田淵章裕はがっしりとした体躯と個性的な顔立ちで
同期生の中で人気者だった。
そして2009年に一度目のコンビ「インディアンス」を結成した。
田淵章裕のえらの張った顔が似ていたので、名前を借りた
クリーブランド インディアンスのHpより
その後、最初のコンビは解消し田淵章裕は「ミキ」の昴生とコンビ「やぶれかぶれ」を
6か月だけ組んだ。
木村 亮介はインディアンス解散後も、「もう一度、一緒にやろう」誘い続けインディアンスの再結成になった。
外部の我々から見ると「安易に離れたり、くっついたり~」と思います。
当の芸人たちにとっては「売れるための脱皮で、当たり前のこと」「相性の良い相方を探し続ける」
と言う声がある。
コンビは下積み生活も経験していますが、賞金レースなどでTV出演を増やして
2016年には活動の拠点を大阪から東京に移した。
吉本興業 Hpより
キムは父親の芸術的才能・素質は受け継いでるのか?
今は口元のほくろも取りました。 吉本興行のHpより
彼の父親は、デザイナーが本職です。インディアンスのラインスタンプを作ってくれたりしています。
マグカップのデザイン作品もあります。
おとんのハーモニカは世界的に有名なレベルだそうです。
確証はないですが、ひょっとすると木村充揮さんかもしれません。
「息子が漫才師。その時おとんは、、、」
このタイトルで始まる木村亮介のnote は秀文です。
飾ることもなく、ただ言葉をつないでいく。
お仕着せも、同意を求めることもなくて管理人は一遍で好きになりました。
フォローもしたし、100円もドネーションした(笑)
現在、インディアンズのネタは2人で作っている。
ネタの元を木村亮介が大学ノートにびっしり書き綴ってる。
そして2人掛かりで推敲を重ね、最後に木村亮介がノートに書き記す。
このnoteの存在を知ってから、インディアンスの掛け合い漫才の極意が見えてきたように思える。
まとめ
漫才のネタを作るのは、それこそ大変なことと思います。
「エンタツ・アチャコ」の昭和時代からずっと家庭の笑いを作ってきました。
木村 亮介には、父親のDNAを発揮して、小説やドラマの脚本なども
手掛けて欲しいと願っている。
今後のゆっくりとしたご活躍を願っています。慌てて駄作を作らんように頼むよ。
最後までご視聴ありがとうございました。