いかちゃんが所さんのそこんトコロに出演。おいたち・実家の話も盛り沢山

芸能

癒し系芸人のいかちゃんが「所さんのそこんトコロ」に出演します。

いかちゃんが芸人を目指した経緯・中学~高校と在籍した吹奏楽部のお話し

ご兄弟やご両親や実家の生業のこと、いかちゃんの芸名の由来や独特な芸風などをご報告します。

今日も一生懸命ないかちゃん 応援よろしく   日本TV Hpより

幼いころから中学生・高校生のお話し

愛称 いかちゃん

  • 本名         伊ヶ﨑 恵(いかざき めぐみ)
  • 生年月日 1996年1月3日(28歳)
  • 出身地     日本の旗 日本・山口県周南市
  • 身長         160cm
  • 最終学歴 中村女子高等学校(調理科)

いかちゃんのお父さんは、魚屋さんと居酒屋さんを経営してます。

小さな頃からお父さんに連れられて、魚市場(周南市水産物市場)に出掛けてました。

本人は「魚市場に行くとジュースが貰えるから~」とインタビューで答えています。

お父さんの仕事が魚を扱う仕事だから、いかちゃんも自然とお魚が好きになっていったんですね。

魚をあまり好きでない人は「さかな臭い、生臭い」とか言いますが、気の毒やと思います。

新鮮な魚の生き締め・血抜きを施した魚は絶品です。

お父さんが大好きないかちゃんは、父の「手助けがしたい」と思って調理師の免許も取得した。

アジやはまちなどの青物もなんでも捌けるし、お刺身盛り合わせもできる。

いかちゃんが中学生の頃に友達数人と体育館でお笑いの芸を披露した。

この時の同級生たちの歓声や驚きの表情に、いかちゃん自身がびっくりした。

ひょっとすると自分に向いているかも~ ビビーっと何かが身体の中を走った。

そうだ私は芸人が向いてるのかも・・・・お母さんに聞いてみよう・・

小学生・中学生・高校生と、ずっと好きで吹奏楽部だった。

いかちゃんは「小学校・中学校・高校生と吹奏楽部に所属」してた。

吹奏楽部がずっと好きだった。リズムに合わせて体を動かし、楽器で自分を表現することが

小さないかちゃんの心を揺り動かし続けてくれた。

小・中学生の時はパーカッション(打楽器の総称)担当だった。

高校生になって初めて金管楽器を担当した。チューバ・ユーフォニアム・トロンボーンなどです。

時にはドラムなどの打楽器もやった。

小さな田舎の高等学校だから部員数が少なくて皆で助け合った。

この時のパーカッションの経験が、いかちゃん"カップでリズムを刻みながら、

人のいいところを言う芸"に生かされてる。

「スクールJCA」23期生からの活躍

県立中村女子高等学校(調理科)を卒業してから、迷わずに人力舎が運営する「スクールJCA」に

23期生として入学した。最初、両親は反対してたが熱意に負けて渋々入学を許した。

卒業してから「イベリコ」と言う名のコンビを同期の前田明広と組んで、約2年6カ月の活動した。

残念ながら相方の芸能界からの寿引退で解散となってしまった。

「イベリコ」時代のネタは、全部を前田が作っていたので、解散後は全くの無であった。

じゃー私にできることは何がある? パーカッションの経験を生かしたカップソングやフリップネタに

芸風を変更した。あまり肩を張らずに聞ける。

これがいかちゃんが視聴者に愛される理由の一つです。

いかちゃんのリズム感天性のもので、いかちゃんの芸風にしっかりと生かされてる。

紙コップ手拍子観客も巻き込んでリズム遊びをする。   人力舎のHpより

このコント、TVで見かけたことないですか? 明るい笑顔で一生懸命にお客さまとの距離を

縮めようとしてる。

見て目には可愛いギャル系でもないし、スタイルも自慢できない。

でも似たような(失礼)お笑い芸人が、毎日TVでご家庭に笑いを届けている。

いかちゃんの良いところは、明るくて一生懸命、人を笑顔にするのが大好きな女性です。

だから「所さんも応援の積りで、番組に呼んでくれてる」と管理人は勝手に思っています。

いかちゃんをイチオシの芸人として紹介した今田耕司には「今までの芸人さんと違う。面白いかと聞かれたら(面白いと言える)自信はないけど、ただただ癒やされる」と評されている。

 写真はseventeenのHpより   記事はウイキペディアより引用

ご兄弟や実家のこと

いかちゃんには、年の離れた弟が2人います。一般人なおで詳しくは公表されてません。

選手バレー選手である藤中謙也、藤中優斗、藤中颯志の三兄弟は従弟と、

いかちゃんのXに記されています。

ご両親は、今では勿論いかちゃんのことを応援してる。居酒屋(いかざき)のお客さんに、TVを

見せながら宣伝しています。ありがたいですね、親心です。

第45回徳山夏まつり」のチラシを掲げるいかちゃんご両親

   「恥ずかしいけど嬉しいです」とお父さんの話です。周南経済新聞記事より引用

まとめ

道は険しいけれど、諦めずにボツボツボツとやっていれば、人はそして神さんは見てくれている。

2024年4月からの1年間、周南市と山口県漁業協同組合周南統括から

しゅうなんおさかな大使」に任命された。

地元の皆さんの応援、この記事を見て下さってる方たちの後押しを受けていかちゃんは頑張る!!

よろしくお願いします。  最後までのご視聴をありがとうございました。

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