声優の長沢美樹がさんま御殿に出演、舞台もこよなく愛する声優さんです。

芸能

声優長沢美樹さんは、小学生の頃に「音読が大好き」で先生に指名されると嬉々として音読してた。

6才上のお姉さんの影響もあり、将来は声に関わる仕事がいいなと考えた。

なぜに声優なのか?気になるきっかけを調べてみた。

今回、さんま御殿に出演が決まった。

番組の中で声優を目指した経緯も聞けるといいですね。

アトミックモンキーHpより出典

長沢美樹さんのプロフィール

誕生日  :7月11日1970年7月11日(2024年9月現在54才)
身長       :158 cm
体重   :40 kg
星座   :かに座
血液型  :A型
出身地  :福島県
血液型  :A型
趣味・特技:木刀で素振り

小学生のころより声優を目指した?

小学生の頃に『風と共に去りぬ』を見て映画・漫画・小説を読み漁った。

主役の「スカーレット・オハラ」の個性を主張する女性の生き方が自身の生き方に影響を与えた。

中学生の頃は放送部に所属し昼休みは好きな音楽をかけた。

レコードのタイトルの紹介文を読んでいると、声の仕事に興味を持つようになった。

アニメ好きの姉は6才年長だった。

その姉から声優と言う職業があることを教えて貰った。

幼い長沢美樹の「声優という将来」を指し示したのは、6才年上の姉だった。

高校生の時も放送部に所属

高校生の時は、アナウンスコンクールに出場した。

放送室で過ごす時間が長くなって、友人から「面白かったよ」・「良い声だね」と褒めてもらえた

事が嬉しかった。

高校生3年生の秋に進路を決める時は、アナウンサー志望だった。

小さいころからの好きが高じて、やっぱり声優となることを選択した。

声優になろうと進路を決めた日にアニメ雑誌『アニメージュ』を買いに行った。

最初に目に入った勝田声優学院に案内書を請求した。

大雨でグチョグチョの案内書が届き、「声優にはなるな」天の声と判じて一度は諦めた。

しかし学院側から再び案内書が届き、「やっぱり声優になる運命なんだ」と思った。

大学受験に失敗した

東京の予備校と藤田声優学院に通うことを、両親に了解してもらい上京した。

父親は声優になることに反対したけど、母親は途中からは応援してくれるようになった。

講師に好きだった水鳥鐵夫がいて、勉学よりも養成所通いがメインになった。

だから大学受験は上手くいかなかった。

これ幸いにと上京2年目からは声優学院に通い詰めた。

水鳥鐵夫と野沢雅子のレッスンを受講した。

毎週、2回の講義があった。残りの日はバイトに明け暮れた。

原宿でウエイトレスのアルバイト時代に、ロンドンブーツ1号2号と知り合った。

勝田声優学院で最初のレッスン

最初の講義で勝田代表から言われた言葉。

やる気がないのだったら、すぐにやめていいから帰りなさい」

勝田代表の激がなかったら幼い長沢美樹は、もっと甘ちゃんで居たと思うと本人は述懐している。

レッスン中に怒鳴られて、あまりの怖さに何度も泣いた。

プロの大変さを思い知らされた頃だった。

勝田学園では滑舌といった基礎の基礎から発声など全部を勝田声優学院で教わった。
プロで生きることの基本だけでなく、声優としてのあるべき姿や人としてのベースになる部分をしっかりと教わったのが大事な財産になった。
長沢美樹の声優道・主婦の友社より引用”

「外郎(ういろう)売り」をつっかえずに言う練習

週に2~3回仲間で集まっての稽古のほかにも、自宅で練習に明け暮れた。

入浴時に「五十音を全部言うようにする」「外郎(ういろう)売り」(動画の2分30秒当たりが

凄い)を、すらすらと発音できる課題を自らに課した。

オーディションを受けては落ちまくりで眼が覚めた

声優としてのデビュー作は養成所時代のドラマCD『イカロスの翼』の乙女(石像)役。

アニメでのデビュー作は『それいけ!アンパンマン』のクレヨンマン役。

オーディション不合格が続くのでふと気が付いた。

「オーディションを受けても、合格することばかりを考えていた。お芝居を楽しんでいなかったな

それで「肩肘張るのやめよう、受からなきゃと思うのやめよう。

それよりはこの瞬間、自分の声を聞いてもらえたことに感謝しよう」と考えた。

まるでオリンピックのメダリストが言うような台詞だ。

人生を達観した人の話だ。

転機になった作品

 右から3番目が長沢美樹   ”長沢美樹のXより引用”

転機になった作品は『新世紀エヴァンゲリオン』の伊吹マヤ役。

個人的に好きだったや役は『それいけ!アンパンマン』のクリームパンダ役だ。

劇団「ヘロヘロQカムパニー」旗揚げメンバー

勝田声優学院に通い始めて2年目に、声優と舞台の2足の草鞋を知った。

劇団に所属して定期的に舞台を活動している声優も多くいた。

「私もいずれそうできたらいいな」と思った。

関智一から、「一緒に劇団をやらないか」と誘われた。

彼から「自分達でやりたいものをやるのが一番楽しいよ、道を拓こうよ」と誘われ続けた。

根負けしての参加となった。

それから劇団「ヘロヘロQカンパニー」と声優の2足の草鞋を履き続けている。

根負けだけど納得しての参加だ。

やるからには、中途半端は駄目だ。

勝田声優学院時代の恩師の教えが生きている。

1番は声優、1.5番に劇団の順番かな??

結婚はある?

未婚のまま頑張るつもりではない」ハズだ。

「関智一」との浮いた話も、残念ながら立ち消えてしまった。

浮いた話がでたら、続編をお届けします。

公私ともに頑張る長沢美樹さんを、ご一緒に応援願いたい。

最後までご視聴をありがとうございました。

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