くまのプーさんの実写版・関取の宇良関が有吉ゼミSPに出演します。

芸能

宇良江戸村のHpより出典

ディズニーの「くまのプーさん」そっくりの可愛い宇良関が「有吉ゼミSP」に出演します。

小柄な宇良関ですが、逃げない相撲・レスリングの経験を生かした多彩な技が、

女性ファンを国技館に引き寄せています。TV出演2回目の今回は、どんな技が見えるかな。

宇良関プロフィール

本名  宇良 和輝

生年月日 1992年6月22日(32歳)

出身  大阪府寝屋川市

身長  175cm

体重  146kg

所属部屋  木瀬部屋

得意技  押し、左四つ、寄り、反り、足取り、肩透かし

現在の番付  西前頭4枚目(2024年7月場所)

最高位  西小結

初土俵  2015年3月場所

宇良関の生い立ち

両親は子供の頃に離婚して、母親の信子さんはパートで働きながら二人を育てました。

彼には美鈴さんという、2才年上の姉が一人います。育ったのは大阪府です。

父親の宇良辰美さんは沖縄県国頭村(くにがみそん)宜名真区(ぎなまく)のご出身です。

親子の関係はそんなに悪くなかったので、父親の宇良姓を名乗っているようです。

沖縄本島の北部にある国頭村には祖父の繁さんと祖母の幸子さんが住んでいて、

宇良関が入門したての頃は、TVの前に親戚が集まって 応援していたそうです。

後に宇良関が関西の大学に通うのにも、父親の援助があったのかなと想像します。

宇良が相撲を始めることになったきっかけ



宇良が相撲を始めることになったきっかけが、実はお姉さんでした。
子供のころ、お姉さんは宇良よりも体が大きく、わんぱく相撲に参加しました。

その時に一緒にいた宇良少年も飛び入りで参加。これが宇良にとって、相撲初体験でした。
「この時の体験が楽しくて、相撲を始めたくなった。」ということではなく。

このわんぱく相撲の際に忘れた上着を取りに道場に行った時に、相撲を習いにきた子供と勘違いされて、気がついら廻しをしめていた、というのが相撲を始めたきっかけだったのです。

きっと、内気な性格の宇良少年は、「違います」と言えなかったのですね。

お姉さんがわんぱく相撲に出場していなければ、宇良は相撲をすることはなかったのかもしれない、と思うと 縁とは不思議なものですよね。

             日刊スポーツ 連載記事より抜粋

中学生の・高校生の宇良は活躍できた?

中学3年で身長150㎝、体重50kgでした。相撲をするにはとても小柄な体格でした。

相撲と並行し小学3年からレスリングにも取り組みんでいたので

中学生時代は階級性のあるレスリングに軸足に軸足をおいていた。

レスリングでは高校の推薦が取れなかったので、相撲部のある京都府立鳥羽高等学校に進学すると

再び相撲中心となった。

高校時代は相撲が弱かったため稽古では指名されず、他校との合同試合では

「一人で体育館でトレーニングしてろ!」と、稽古場から追い出されたこともあった。

高校時代の宇良は、体格も向上せず相撲も弱かったので、練習相手は、小中学生でした。

小学生に負けたこともあったそうです。

関西学院大学にスポーツ特待生で入学

高校卒業後に就職することを考えていた宇良でしたが、スポーツ推薦で関西学院大学教育学部

進学できることになりました。

大学進学してから大学2年生までは、学業を優先していたので痩せてしまい、入学時に85kgあった

体重は7月には65kg
にまで落ちてしまいました。

1年の時には、全国学生相撲個人体重別選手権65キロ未満級で優勝しました。

2年生の時には、65キロ未満級の大会で相撲経験3か月の相手に負けてしまいます。

この出来事を契機として肉体改造に取り組みました。

努力の結果が現れで4年生の時には、無差別級で3位に入賞しました。

2013年(21才・大学4年)にロシアで開催された第二回ワールドコンバットゲームズ相撲軽量級

世界一になることができました。

相撲で、ようやく力が発揮できるようになってきたようです。

大学では、小学校と幼稚園の教員免許を取得しました。でも教職につくことはなく、

卒業後は角界入りしました。

2年で関取になると公言した

TUBAME98 Hpより出典

4才で相撲を取り始めたころから、体が小さくてなかなか勝つことができなかった。

負けても負けても、立ち上がり自分より大きな相手に挑んできた

闘志を向きだしにするタイプではなく頭を低く低くして押していく相撲でした。

宇良関は2015年3月場所にて初土俵。初土俵からわずか12場所(2年)で入幕を果たしました。

これは、史上7位タイという記録なんです。

入幕から幕下陥落まで

3月場所は一進一退の星勘定を続け、千秋楽に勝って8勝7敗と新入幕での勝ち越しを決めた。
5月場所は11勝4敗と好成績であったが予想されていた技能賞はなく、
解説者の北の富士が中継で11番とって(三賞を)あげないの? そりゃないよ」と同情する一幕もあった。

宇良も「技能賞、欲しかったです」とがっかりした表情を浮かべた。また、親方衆の中には宇良の取り口を”技能”でなく”異能”とする声があったという。

2018年1月場所も十両で全休し、3月場所で幕下に陥落した

               日刊スポーツ記事より抜粋

幕下陥落から関取復帰まで

患部の手術を受けて松葉杖なしで歩けるようになったのは2018年1月場所後であり、その時点ではとても相撲を取れる状態ではなかった。

2018年7月場所も休場し、これで1月場所から4場所連続の全休となった。2018年7月場所時点の番付は三段目30枚目となった。7月時点でまだ稽古場で相撲を取るには至らず、筋力トレーニングに励んでいると報じられている。

9月場所で土俵に復帰し、6勝1敗と健闘した翌11月場所は7戦全勝で三段目優勝を果たした。

             日刊スポーツ記事より抜粋

関取復帰以降

チャリティーちゃんこ 江戸村のとくぞう Hpより出典

11月場所11日目に8勝目を挙げて勝ち越しを確定させた際には「”運が良かった“としか思わない」と感想を述べた。しかしその後失速し、この場所は9勝6敗で終えた。

西序二段106枚目まで番付を落としてから幕内に復帰したことで、戦後最も低い地位からの幕内復帰記録を更新することになった(従来の記録は照ノ富士の西序二段48枚目)。

この場所は10勝5敗と、2017年5月場所以来自身2度目の幕内二桁白星。15代武蔵川はこのカムバックぶりに「敢闘賞をあげてもよかったんじゃないかな」と感想を漏らした。

           日刊スポーツ・ウイキペディアより抜粋

トレードマークのピンク廻し

2017年4月、春巡業「川崎場所」よりこのピンク廻しをつけている。

長い歴史のある大相撲ですが、決して流されるのではなく、個を主張する関取・宇良関

早いことおかみさん候補を見つけて、近い将来の『宇良之部屋』を望みます。

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