小学生4年の時に父が経営していた牛乳配達の会社が倒産した。
当時の中一・小6・小4・小1の4人兄姉弟は心に誓った。
『今まで自由にさせてくれた両親を助けるために、皆で協力し合おう』
『お金はなくても家族の心が一つになれば乗り越えられる』と誓い合った。
高橋ユウは小学生4年の時に極貧生活を経験した 出典:アジアプロモーション
高橋ユウの略歴
高橋ユウは1991年1月19日に滋賀県大津市に生まれた。
4人の兄姉弟とご両親の6人家族だ。
お母さんがフィリッピン人のハーフだ。
お母さんは、顔立ちや考え方も日本人より日本人で、辛い時も支えてくれた。
いつも心の支えになってくれている優しいお母さんとのスナップ 出典:スポーツ報知
高橋ユウが小学4年生の時に「牛乳配達店」を経営していた父の会社が倒産した。
生活が一変した。
それまでは毎年、母の故郷のフィリッピンに里帰りしていた。
習い事も望めばなんでも通わせてくれた。
行くことも辞めることも『自分の判断でやりなさい』と自立心を育ててくれた。
バンブーハウスのあった自宅も手放した。
引っ越し業者に頼むお金がなかったので、夜になると車に家財を詰め込んで皆で運んだ。
ところが家賃が払えなくなり、2回目の引っ越しも経験した。
おさな馴染みの友達から「優ちゃんち だんだん小さくなっていくね~」と不思議がられた。
それでも家族は明るかった。
優しくて強い父の教え
両親が『お金はなくても家族の心が一つになっているから、それだけで豊かなんだと教えてくれた』
だからこの先どんな大変なことがあっても、きっと楽しくできる。
それはいつも安心できる家庭を両親が作ってくれていたからだと思う』
父はいつも私の一番の理解者だ。
こんなエピソードがある。
仲の良い小学生の友達が不登校が原因で転校してしまった。
心配でたまらなくて、昼休みに学校を抜け出して友達を見に行った。
いなくなった高橋優ちゃんを心配した先生が父親に連絡をした。
やがて学校に戻ってきた優ちゃんきつく叱られた。
学校からの帰り道に「好きなラーメン屋」さんに連れてってくれた。
「なんでも好きなものを頼んでもいいよ」
「転校した友達は元気やったか? 心配やったんやな・・」
「優は優しいからね」
父の言葉に涙が止まらなかった。
『あぁ父はいつでも私の味方でいてくれる。ありがとうお父さん』
その後、辛いことや悲しいことがあっても「私にはいつも味方の両親がいる」
つまずきそうなときでも、この言葉で頑張ってこれた。
左がユウ、右が姉のメアリージュン 出典:スポーツ報知
3才年上の高橋メアリージュン
高校生の頃からモデルをしていた。
本当は歌手志望だったけれど、実力のある子が沢山いて歌手デビューはできなかった。
事務所のスタッフが『背も高いからとりあえず、モデルでスタートしてみよう』
おりしも木村カエラがモデルデビューから歌手になっていた。
迷わず「モデルやります」と手を挙げた。
2006年、15才の時から雑誌『Cawaii!』の専属モデルで活動を始めた。
人見知りの性格もあり「順調ではなかった」
そんなときの母の言葉に救われた。
『優ちゃんは階段を一段飛ばしたら躓くで、背伸びしたら足をつるで、焦らんでいいよ』
周りのことを気にせずにマイペースでやれるようになった。
気が付くとモデルの仕事が好きになっていた。
優しいい母の支えが「くじけずに頑張れた」
ところが「いいことも悪いことも続かない」
19才の頃にモデルの仕事が、どんどん打ち切りになり収入がなくなった。
仕方なくプライドを捨てて、セレクトショップのアルバイトを始めた。
そのショップに昔の仕事仲間が買い物にきた。
『あれ~ユウちゃん、こんなとこで何してるん??』
悪気のないその言葉が胸に刺さった。
「もう滋賀に帰ろうか~」
同居していた姉が言った。
『姉の私がおるけん、大丈夫だよ』
強い姉に救われた。
姉が事務所を転籍するときに一緒に入れてもらった。
新しい事務所のマネージャーが言い放った。
『幼い頃の貧乏の話や仕事がなかった頃の話もネタに喋れば~』
『そうかあ 自分の辛い話は誰かの笑いに繋がる。喜んで笑ってくれる人がいる』
『あなたの笑顔で希望が持てた』人がいる。
TVでしゃべると迷いが吹っ切れた。
今まで無理と思っていたバラエティーにも出演できだした。
開き直れば強い。
強くて優しいご両親への恩返しはスタートしたばかりだ。
姉妹のご活躍を応援してるよ!!