「釣りバカ日誌」実写上映は「男はつらいよ」の同時上映作品でありB面的な映画でした。
想定以上の観客動員数だったのと、渥美清の逝去により松竹株式会社は「釣りバカ日誌」制作に力を入れていった。
1988年(昭和63年)の第1作公開から2009年(平成21年)の第22作まで毎年の上映であった。
当初は1回限りの上映予定だった。
第1作との終わりと第2作の始まりは、繋がらない物語になった。
そして西田敏行(62才)三国連太郎(84才)と主演二人の高齢化により終了した。
「釣りバカ日誌」実写上映版
「男はつらいよ」の同時上映作品でありB面的な映画。
想定以上の観客動員数だったのと、渥美清の逝去により松竹株式会社は「釣りバカ日誌」制作に力を
入れていった。
1988年(昭和63年)の第1作公開から2009年(平成21年)の第22作まで毎年の上映であった。
当初は1回限りの上映予定であったため第1作との終わりと第2作の始まりは繋がらない。
西田敏行(62才)三国連太郎(84才)と主演二人の高齢化により2009年に惜しまれながら終了した。

YSDVDラベルより抜粋
浜ちゃんこと西田敏行は、
1947年(昭和22年)に福島県郡山市に生まれました。中学卒業後に東京で明治大学
付属中野高等学校に進学します。その転校理由が面白い。
「福島で育ちこのまま大きくなると、標準語がしゃべれなくなるかも知れない。」
「役者になるにはをするには、このまま福島にいては駄目だ」と考えた。
その後1966年(昭和41年)に明治大学農学部に進学した。
同時に日本演技アカデミー夜間部に入る。
同年明治大学を中退して夜間部から昼間部に移り翌年にアカデミーを卒業した。
1967年(昭和42年)に「渥美清の泣いてたまるか」でテレビ俳優としてデビューした。
1978年(昭和53年)にTVドラマ「西遊記」に猪八戒役で出演。
歌手活動も精力的に行い、1981年(昭和56年)4月に発売した「もしもピアノが弾けたなら」は
大ヒットとなった。
1981年(昭和56年)にはNHKの大河ドラマ「おんな太閤記」に準主役として登場した。

スポニチアネックスより
スーさんこと三国連太郎さん
1923年(大正12年)に群馬県で生まれている。静岡県で大きくなったが、養父との折り合いが悪く
釜山、大阪と渡り歩き様々な職を転々とした。
1943年(昭和18年)20歳のとき大阪で働いているときに徴兵検査に合格しい出征することになった。
戦争に行きたくないと逃走を図ったが憲兵に捕まり、中国の前線へ送られた。
三国の部隊は千数百人いたが生きて帰れたのは25人前後だった。
1945年の終戦時には、収容所に入れられたが、苦労の末に長崎まで帰国できた。
結婚・離婚の後に1950年銀座で松竹のスカウトマンに声をかけられ、1951年(昭和26年)、木下恵介
の監督映画『善魔』でデビューした。
この時の役名が三国連太郎であり、その後に芸名にした。
戦争を知らない世代の私たちには、想像もできない地獄だ。
この地獄を潜り抜けてきた大正生まれの人たちのお陰で、今の平和がある。
これを書きながらう~んと唸ってしまうことに沢山出会った。
スーさんの顔に刻まれた皺は深いです。

スポニチアネックスより引用
みちこさん
主人の浜ちゃんを陰で支える奥さんです。
のちに弁護士になる青年との結婚の話を断り万年平社員の浜崎伝助と結ばれる。
伝助の釣り趣味による出費と出世を目指さないので収入が増えない。
家計をやりくりするのに四苦八苦しているが、夫婦仲は円満そのものです。
江戸っ子生まれの女性はあっけらかんとしてる??
鈴木建設社長の鈴木一之助(スーさん)とは普通にお付き合いしています。
浜ちゃんの出世に関わる人だからとの意識は全くありません。

スポニチより引用
佐々木課長
浜ちゃんの出世欲に欠ける性格を憂いた佐々木課長が、趣味の一つでもと海釣りを勧めた。
それがきっかけになり、面白さに目覚めた浜ちゃんは自他共に認める「釣りバカ」になった。
浜ちゃんの直属の上司である課長は、浜ちゃんの欲のなさに呆れています。
でもそのことがお客様の信用・信頼を勝ち取っていることを良く知っています。
無防備で無手勝流な浜ちゃんの生き方に同調している課長なんです。

スポニチアネックスより引用
無趣味で出世欲のなかった浜ちゃん
「趣味の一つも覚えて上司の機嫌を取ったら~」とみちこさんが勧めます。
同じ心配をしていた佐々木課長が彼を海釣りに誘います。
そして浜ちゃんは、ひょんなことから釣りをしていた初老の人に出会うのです。
その人がスーさんなんです。スーさんはある時、自分の身分を浜ちゃんに明かします。
ところが「公私の区別」の「私」でお付き合いをしていると、態度を変えない浜ちゃんと一生のお付き
合いを始めることになるんです。
ある人の曰く「乞食と殺生を三日したらやめられない」そうです。
竿の先で命のやり取りをしてしまうのも殺生です。
私もその殺生にどっぷりはまった経験があります。更に面白くて抜け出せないこと。
それは自分の描いた作戦通りに釣果を得ることができた時なんです。
「釣りバカ日誌」の再開を待ち望んでいます。
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